2009/08/27

New Mexico Mining Museum

Grants, NM | 2008/09/25-day14

小さな街だったが、鉱山博物館があるという。前夜の宿の近くだったので訪ねてみた。思っていたよりも、小さくて地味な博物館だった。





地下にウラン採掘の様子が復元されていた。シカゴの科学産業博物館の炭鉱の展示に似ているが、「手作り感」に溢れていて、その埃っぽさがリアルだ。

実際に使っていたポスターなども。





"TEMPER control it for everybody's safety"

イライラは皆の安全の為にコントロールしよう。って感じだろうか。地下の狭い場所でダイナマイトを使ったり、採掘作業を続けていると精神的に参ったりもするのだろうし、それで暴れてしまっては大事故の危険もある。
「あなたもこれを貼って心掛けて欲しい」と妻に言われる。一理あると思ったのでプリント用に撮ったのが上の写真。私のように心当たりのある人は机に貼ってはどうだろうか。周囲のためにも。



採掘されたウラン鉱石は不純物を取り除きイエローケーキ(Yellowcake)と呼ばれる状態で出荷される。極端な事を言えば、原発や原子力爆弾の原材料だ。原爆の写真が並べてあって、ちょっとゾッとした。

この周辺は、原子力開発に使うウラン採掘のお陰で、第二次大戦から冷戦時代にかけて、まるでゴールドラッシュのように栄えたのだそうだ。鉱山で働く男たちは湯水のように金を使い、街には21軒もの酒場が並び、ルート66沿いにはガソリンスタンドが20軒も並んでいたとか。

アメリカの途方もない田舎を旅していると、一見何もない土地に、そういった時代の裏舞台に出くわす事がある。ウラン鉱山、兵器の実験場、ICBMの発射サイロ、そして退役した軍用機など。僕はわざとそういった場所に出向いては、自分の目で何かを解釈して消化しようとしていた気がする。この砂漠の街が今やゴーストタウン寸前であることは、もしかしたら前の時代よりも少しは平和になった証しなのかもしれない、とか、そんな事を思うのだ。


なお、広島・長崎に投下された原爆に使われたのは当時ベルギー領だったコンゴ産ウランだった事は旅が終わってから知った。