Friday Harbor, WA| 2008/10/31-day50
オフシーズンで落ち着いていたからか、San Juan Islandはとても上品な感じがした。オレゴン・ワインの揃ったスーパーも、美味しくローストしたコーヒーを出す店もあった。また別の季節に訪れてみたいと思う。
当日はハロウィンだったので、ホテルの受付嬢は魔女だった。
港を見下ろす角部屋。夜更けまでフェリーを眺めていた。翌朝もずっと見ていた。お陰で膨大な数のフェリーの写真が残っている(苦笑)。
こうした沢山のフェリーの写真なんてものは、壁一面にフェリーの写真を飾るわけにもいかないので、旅が終わってしまうと持て余してしまう。でもこうして見ていると、よっほど嬉しかったんだろうなぁ、と旅のワクワク感を思い出したりする。その数が感情のバロメーターみたいなものか。
2009/10/31
San Juan Islandへ渡るフェリー
2009/08/27
New Mexico Mining Museum
Grants, NM | 2008/09/25-day14
小さな街だったが、鉱山博物館があるという。前夜の宿の近くだったので訪ねてみた。思っていたよりも、小さくて地味な博物館だった。
地下にウラン採掘の様子が復元されていた。シカゴの科学産業博物館の炭鉱の展示に似ているが、「手作り感」に溢れていて、その埃っぽさがリアルだ。
実際に使っていたポスターなども。
"TEMPER control it for everybody's safety"
イライラは皆の安全の為にコントロールしよう。って感じだろうか。地下の狭い場所でダイナマイトを使ったり、採掘作業を続けていると精神的に参ったりもするのだろうし、それで暴れてしまっては大事故の危険もある。
「あなたもこれを貼って心掛けて欲しい」と妻に言われる。一理あると思ったのでプリント用に撮ったのが上の写真。私のように心当たりのある人は机に貼ってはどうだろうか。周囲のためにも。
採掘されたウラン鉱石は不純物を取り除きイエローケーキ(Yellowcake)と呼ばれる状態で出荷される。極端な事を言えば、原発や原子力爆弾の原材料だ。原爆の写真が並べてあって、ちょっとゾッとした。
この周辺は、原子力開発に使うウラン採掘のお陰で、第二次大戦から冷戦時代にかけて、まるでゴールドラッシュのように栄えたのだそうだ。鉱山で働く男たちは湯水のように金を使い、街には21軒もの酒場が並び、ルート66沿いにはガソリンスタンドが20軒も並んでいたとか。
アメリカの途方もない田舎を旅していると、一見何もない土地に、そういった時代の裏舞台に出くわす事がある。ウラン鉱山、兵器の実験場、ICBMの発射サイロ、そして退役した軍用機など。僕はわざとそういった場所に出向いては、自分の目で何かを解釈して消化しようとしていた気がする。この砂漠の街が今やゴーストタウン寸前であることは、もしかしたら前の時代よりも少しは平和になった証しなのかもしれない、とか、そんな事を思うのだ。
なお、広島・長崎に投下された原爆に使われたのは当時ベルギー領だったコンゴ産ウランだった事は旅が終わってから知った。
小さな街だったが、鉱山博物館があるという。前夜の宿の近くだったので訪ねてみた。思っていたよりも、小さくて地味な博物館だった。
地下にウラン採掘の様子が復元されていた。シカゴの科学産業博物館の炭鉱の展示に似ているが、「手作り感」に溢れていて、その埃っぽさがリアルだ。
実際に使っていたポスターなども。
"TEMPER control it for everybody's safety"
イライラは皆の安全の為にコントロールしよう。って感じだろうか。地下の狭い場所でダイナマイトを使ったり、採掘作業を続けていると精神的に参ったりもするのだろうし、それで暴れてしまっては大事故の危険もある。
「あなたもこれを貼って心掛けて欲しい」と妻に言われる。一理あると思ったのでプリント用に撮ったのが上の写真。私のように心当たりのある人は机に貼ってはどうだろうか。周囲のためにも。
採掘されたウラン鉱石は不純物を取り除きイエローケーキ(Yellowcake)と呼ばれる状態で出荷される。極端な事を言えば、原発や原子力爆弾の原材料だ。原爆の写真が並べてあって、ちょっとゾッとした。
この周辺は、原子力開発に使うウラン採掘のお陰で、第二次大戦から冷戦時代にかけて、まるでゴールドラッシュのように栄えたのだそうだ。鉱山で働く男たちは湯水のように金を使い、街には21軒もの酒場が並び、ルート66沿いにはガソリンスタンドが20軒も並んでいたとか。
アメリカの途方もない田舎を旅していると、一見何もない土地に、そういった時代の裏舞台に出くわす事がある。ウラン鉱山、兵器の実験場、ICBMの発射サイロ、そして退役した軍用機など。僕はわざとそういった場所に出向いては、自分の目で何かを解釈して消化しようとしていた気がする。この砂漠の街が今やゴーストタウン寸前であることは、もしかしたら前の時代よりも少しは平和になった証しなのかもしれない、とか、そんな事を思うのだ。
なお、広島・長崎に投下された原爆に使われたのは当時ベルギー領だったコンゴ産ウランだった事は旅が終わってから知った。
2009/08/25
夏の名残り
2009/08/18
TX2500Z
旅行で使ったPCはHPのTX2500Zというタブレット・ノート。
ディスプレイを反転させタブレット状にして、GPSソフトを起動させておくと、助手席でナビしてもらうには丁度使い勝手が良かった。少し重量感があって熱くなる機種だけど、ルート66の古い道を詳細に辿ったり、GPSで旅の全ルート記録したりと、大活躍だった。
旅が終わってからは、外付ディスプレイに外付マウス&キーボードで、まるでデスクトップの様に使ってきたのだが、ここ数日、自動バックアップの失敗が続いてたので調べてみたら、ハードディスクが損傷して不良クラスタが出来てしまっていた。
うーん1年でハードディスク交換とは・・・やっぱり熱も要因の一つだったのではないかと思う。これからは熱対策も考えなければ。もう少し長持ちしてくれてたら windows 7を導入したかもしれないのに、今さら(いまいましい)vistaをクリーンインストールとは!すっかり徹夜作業になってしまっている。
復旧までの道のりはまだ長そうだが、それでもバックアップは出来たし、完全に壊れる前に交換出来たのは、最悪の事態を想定すれば泣かずにすんでラッキーだったのかもしれない。
ディスプレイを反転させタブレット状にして、GPSソフトを起動させておくと、助手席でナビしてもらうには丁度使い勝手が良かった。少し重量感があって熱くなる機種だけど、ルート66の古い道を詳細に辿ったり、GPSで旅の全ルート記録したりと、大活躍だった。
旅が終わってからは、外付ディスプレイに外付マウス&キーボードで、まるでデスクトップの様に使ってきたのだが、ここ数日、自動バックアップの失敗が続いてたので調べてみたら、ハードディスクが損傷して不良クラスタが出来てしまっていた。
うーん1年でハードディスク交換とは・・・やっぱり熱も要因の一つだったのではないかと思う。これからは熱対策も考えなければ。もう少し長持ちしてくれてたら windows 7を導入したかもしれないのに、今さら(いまいましい)vistaをクリーンインストールとは!すっかり徹夜作業になってしまっている。
復旧までの道のりはまだ長そうだが、それでもバックアップは出来たし、完全に壊れる前に交換出来たのは、最悪の事態を想定すれば泣かずにすんでラッキーだったのかもしれない。
2009/08/14
Chicago Air & Water Show
今週末はChicago Air & Water Show。
今年の目玉はU.S. Air Force Thunderbirdsだ。予行演習の様子を撮る事が出来た。
この旅ブログの準備を始めたのが丁度去年の今頃で、最初に載せた写真がー去年のトリーU.S. Navy Blue Angels Part 1と 同 part 2だった。1年が経つのは早いもので、ちょっと感慨深い。
7月の花火、8月のAir Show、9月のINDYレース・・・これが我が家の「シカゴの夏」だ。満喫しなくては。
thunderbirds.airforce.com
blueangels.navy.mil
今年の目玉はU.S. Air Force Thunderbirdsだ。予行演習の様子を撮る事が出来た。
この旅ブログの準備を始めたのが丁度去年の今頃で、最初に載せた写真がー去年のトリーU.S. Navy Blue Angels Part 1と 同 part 2だった。1年が経つのは早いもので、ちょっと感慨深い。
7月の花火、8月のAir Show、9月のINDYレース・・・これが我が家の「シカゴの夏」だ。満喫しなくては。
thunderbirds.airforce.com
blueangels.navy.mil
2009/08/11
Depew OK
Depew OK | 2008/09/17-day06
オクラホマ州のDepew。地理的にはTulsaとOklahoma Cityのほぼ中間。写真では、たまたまピックアップ・トラックが通り過ぎたが、街のメインストリートはご覧の様に空っぽ。人影がなくて、まるでゴーストタウンなのだが、かと言って荒廃しているのでもなく、微妙なさびれ具合いを醸し出していた。人口は570人位らしい。一応、街のwebサイトもある>Visit Depew, OK。
1926-28年の間はルート66がメインストリートを通っていた。カリフォルニアやアリゾナの方よりも、ミズーリやオクラホマの人達の方が「ルート66」の歴史や存在を大事にしている気がする(それだけ田舎だからかもしれないが)。
View Larger Map
ここをぐるりと見渡すと、反対側には下の写真の建物が建っている。Coach's Cornerという街で一軒だけと思われるCafeだったが閉まっていた。本当に人影がないのだ、ここは。まるで「消えちゃった街」みたいに。 近くにはBristowやStroudの街もあるので、陸の孤島というわけでもないのだが。
メインストリートに面した建物のほとんどが、入口や窓が塞がれて、使われていなかった。"1911"というのは、1911年に建てられたのだろうか。保存状態は悪くなさそうだけれど、いつまでもこの状態なのだろうか。
下の店は美容院!で「OPEN」の文字が出てた・・・・が、店の中はやはりカラッポ。電気も点いてたのに。美容院や床屋だったら、人が少しでも住んでれば需要があるのかな。
不思議な街でした。
オクラホマ州のDepew。地理的にはTulsaとOklahoma Cityのほぼ中間。写真では、たまたまピックアップ・トラックが通り過ぎたが、街のメインストリートはご覧の様に空っぽ。人影がなくて、まるでゴーストタウンなのだが、かと言って荒廃しているのでもなく、微妙なさびれ具合いを醸し出していた。人口は570人位らしい。一応、街のwebサイトもある>Visit Depew, OK。
1926-28年の間はルート66がメインストリートを通っていた。カリフォルニアやアリゾナの方よりも、ミズーリやオクラホマの人達の方が「ルート66」の歴史や存在を大事にしている気がする(それだけ田舎だからかもしれないが)。
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ここをぐるりと見渡すと、反対側には下の写真の建物が建っている。Coach's Cornerという街で一軒だけと思われるCafeだったが閉まっていた。本当に人影がないのだ、ここは。まるで「消えちゃった街」みたいに。 近くにはBristowやStroudの街もあるので、陸の孤島というわけでもないのだが。
メインストリートに面した建物のほとんどが、入口や窓が塞がれて、使われていなかった。"1911"というのは、1911年に建てられたのだろうか。保存状態は悪くなさそうだけれど、いつまでもこの状態なのだろうか。
下の店は美容院!で「OPEN」の文字が出てた・・・・が、店の中はやはりカラッポ。電気も点いてたのに。美容院や床屋だったら、人が少しでも住んでれば需要があるのかな。
不思議な街でした。
2009/08/09
US-84
US-84 (Historic Route 66) near Dilia, NM | | 2008/09/22-day11
やっぱりこういう風景がたまらなく好き。
View Larger Map
この辺りだろうか。雪が積もっているようだけど。
また旅に出たくなってしまうよ。
やっぱりこういう風景がたまらなく好き。
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この辺りだろうか。雪が積もっているようだけど。
また旅に出たくなってしまうよ。
2009/08/08
Rock Cafe
Stroud, OK | 2008/09/17-day06
本当に小さな街Stroudのルート66名物「Rock Cafe」。
廃墟なのではなく、残念なことに僕達が訪れる4ヶ月前の2008年5月に火事で焼けてしまっていた。火事の事を知らずに、現地でこの状態を見たので、呆然としてしまった。
でもご安心を、火事からまる1年後のこの5月、店は見事に復旧されてー1939年以来の岩の壁とともにー再オープンしたとのこと。再建工事の様子がここに記録されている。>David Burke Historic Preservation - Rock Cafe
1年で営業再開!とはオーナーの心意気が感じられるところだが、それもそのハズ。女性オーナーのDawn Welchさんはディズニー映画「Cars」に登場するヒロインの青いポルシェのサリー(Sally Carrera)のモデルにもなった人物。
もともと「ルート66」というタイトルで制作準備されていたこの映画、監督やPixarのスタッフがルート66を徹底取材中にWelchさんに惚れ込んでサリーのキャラクターを作り上げていったのだそうだ。性格や話し方、背中の(フェイク)タトゥーまで映画に反映されているようで、彼女自身"The whole character of Sally is really me - the way she acts and everything"とインタビューで応えている。
映画での設定は「元弁護士」「モーテルのオーナー」と実際とは異なるが、偶然知った街が気に入って離れられなくなってしまって以来、街やルート66の復興に奮闘している姿は映画そのまま。今から16年前になるのだろうか、オクラホマ出身でクルーズ船で働いていた当時23歳の彼女は補助金を使ってコスタリカでレストランを開こうと計画。その前にお母さんに会いに来た先のStroudで、たまたま立寄ったロック・カフェの雰囲気に魅せられてしまい1年くらい店をやってみようかとリース、そのまま譲り受けてオーナーになったのだとか。(Dawn Welch, the Little Blue Porsche 等より)。
お店の再オープンを伝えるこのニュースにも元気なWelchさんが登場します。
Iconic Cafe to Reopen After Fire
本当に小さな街Stroudのルート66名物「Rock Cafe」。
廃墟なのではなく、残念なことに僕達が訪れる4ヶ月前の2008年5月に火事で焼けてしまっていた。火事の事を知らずに、現地でこの状態を見たので、呆然としてしまった。
でもご安心を、火事からまる1年後のこの5月、店は見事に復旧されてー1939年以来の岩の壁とともにー再オープンしたとのこと。再建工事の様子がここに記録されている。>David Burke Historic Preservation - Rock Cafe
1年で営業再開!とはオーナーの心意気が感じられるところだが、それもそのハズ。女性オーナーのDawn Welchさんはディズニー映画「Cars」に登場するヒロインの青いポルシェのサリー(Sally Carrera)のモデルにもなった人物。
もともと「ルート66」というタイトルで制作準備されていたこの映画、監督やPixarのスタッフがルート66を徹底取材中にWelchさんに惚れ込んでサリーのキャラクターを作り上げていったのだそうだ。性格や話し方、背中の(フェイク)タトゥーまで映画に反映されているようで、彼女自身"The whole character of Sally is really me - the way she acts and everything"とインタビューで応えている。
映画での設定は「元弁護士」「モーテルのオーナー」と実際とは異なるが、偶然知った街が気に入って離れられなくなってしまって以来、街やルート66の復興に奮闘している姿は映画そのまま。今から16年前になるのだろうか、オクラホマ出身でクルーズ船で働いていた当時23歳の彼女は補助金を使ってコスタリカでレストランを開こうと計画。その前にお母さんに会いに来た先のStroudで、たまたま立寄ったロック・カフェの雰囲気に魅せられてしまい1年くらい店をやってみようかとリース、そのまま譲り受けてオーナーになったのだとか。(Dawn Welch, the Little Blue Porsche 等より)。
お店の再オープンを伝えるこのニュースにも元気なWelchさんが登場します。
Iconic Cafe to Reopen After Fire
2009/08/04
2009/08/03
66 Super Service Station
Alanreed, TX | 2008/09/21-day10
昨日の標識の後ろに建っていたのが、この1930年代のガソリンスタンド。
Old Route 66 Association of Texasが2002年から修復・復元に着手、古い給油ポンプやTexacoのステッカー等も各地から取り寄せて、当時の様子を再現したのだそうだ。
昨日の標識の後ろに建っていたのが、この1930年代のガソリンスタンド。
Old Route 66 Association of Texasが2002年から修復・復元に着手、古い給油ポンプやTexacoのステッカー等も各地から取り寄せて、当時の様子を再現したのだそうだ。
2009/08/02
2009/08/01
2009/07/31
66 DINER (Sanders)
Sanders AZ | 2008/09/25-day14
僕達が旅の手引きとしていたガイドブックにはこんな感じで書いてあった。
『・・・を1ブロック進み右に曲がると、チャーミングなピンクと白の 66 Diner がある。昔ながらのバレンタイン・スタイルのダイナーの建物はHolbrockの街から持ってきたもので、増改築されてユニークなCafeとなっている』
前日に立寄ったAlbuquerqueの66 DINERでの思い出があまりに素晴らしかった為、時間も遅くなりつつあったが、こっちの66 DINERにも行こうと、小さな町(というよりも集落)に辿り着き、店を探した。
この看板を見つけた時に、なーんかXXXな予感がしたのだ。
このまるで、文化祭の模擬店のような看板に。
本格的なボロ小屋でした。
家族経営の店なのですが「ガイドブックを見て来た」と言ったら最初は信じてもらえず、本を見せたら、子供達と一緒になって驚いてました。
当人達には、たまたま店の名前が「66」だった、ぐらいの自覚しかないようで、こんなヘンピな土地までわざわざ来るなんて、なんと物好きな連中だーと思われたようです。いやぁ、ホント、わざわざ行くような店ではないです。それでも、家庭的なメキシコ料理が美味しくて、
いろんな「ルート66」があるもんだなと、苦笑いをしつつ宿に向かって急ぐことにしました。
僕達が旅の手引きとしていたガイドブックにはこんな感じで書いてあった。
『・・・を1ブロック進み右に曲がると、チャーミングなピンクと白の 66 Diner がある。昔ながらのバレンタイン・スタイルのダイナーの建物はHolbrockの街から持ってきたもので、増改築されてユニークなCafeとなっている』
前日に立寄ったAlbuquerqueの66 DINERでの思い出があまりに素晴らしかった為、時間も遅くなりつつあったが、こっちの66 DINERにも行こうと、小さな町(というよりも集落)に辿り着き、店を探した。
この看板を見つけた時に、なーんかXXXな予感がしたのだ。
このまるで、文化祭の模擬店のような看板に。
本格的なボロ小屋でした。
家族経営の店なのですが「ガイドブックを見て来た」と言ったら最初は信じてもらえず、本を見せたら、子供達と一緒になって驚いてました。
当人達には、たまたま店の名前が「66」だった、ぐらいの自覚しかないようで、こんなヘンピな土地までわざわざ来るなんて、なんと物好きな連中だーと思われたようです。いやぁ、ホント、わざわざ行くような店ではないです。それでも、家庭的なメキシコ料理が美味しくて、
いろんな「ルート66」があるもんだなと、苦笑いをしつつ宿に向かって急ぐことにしました。
寄り道
2009/07/30
2009/07/29
Forrest Gump
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