2008/10/31
day50 短信・折り返し点
Bellingham, WA発-Anacortes(Ferry)-Friday Harbor, WA (San Juan Island)泊
50日目、愛車はついに海上も移動。
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そもそもこの旅は僕にとって20年振りのアメリカ横断。あの時はGreyhoundバス、Amtrak、飛行機、レンタカー等を駆使したものだったが、今回は妻と一緒に自分の車でRT66を走破するというのが最初のアイデアだった。そしてサンタモニカに到達した後は1~101を北上して(サンフランシスコから北は僕も来た事がなかったので)シアトルまでは、と思っていた。その後の旅程は漠然とした考えしかなかったが、カナダに入ってバンフ国立公園~グレイシャー国立公園を通ってシカゴに戻るルートを旅をしながら調べていた。実際、昨夜泊ったBellinghamはカナダとの国境間近の街で、今朝のうちにバンクーバー入りするつもりだった。
ところが、昨夜、バンフの天気予報を見ると雪で気温も低い。もともと11月になると観光シーズンが終わってしまうので迷っていたのもあり(特にコロンビア大氷原も終了)、雪のカナダをわざわざドライブするのが急に億劫になってしまった。妻とも相談して無理にトラブルの元になるような事は止めようという結論に。その一方で、一度後にしたシアトルをそのまま旅の折り返し点にしたくはないという気持ちもあった。
そこで、急遽調べて決めたのがSan Juan Island行き。ここまで長距離ドライブをした後で「フェリー」というのが、なかなかの変化球に感じられ、ささやかな船旅を楽しんだ次第。島の"Friday Harbor"を見下ろす宿に泊り、夜まで行き来するフェリーを眺めながら、旅の50日目と"折り返し点"を祝った。
さぁ、どうやってシカゴに帰ろうか。
2008/10/30
2008/10/29
2008/10/28
day47 短信
2008/10/27
day46 短信
Eugene, OR発-(New Port)-Yachats, OR泊
映画「アニマルハウス」のオメガハウス。デルタハウスは隣にあったが、80年代に取り壊されている。
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ホテルをチェックアウト後、VWディーラーに行きオイル交換等のメンテナンス。
Eugeneにはオレゴン大学がある。僕の大先輩が卒業した大学というだけでなく、映画「アニマルハウス」はここで撮影された。「アニマルハウス」は、僕の人生を変えた、倫理学的に言えば"善悪の概念/自己の形成"で重要な位置を占める作品なので、(簡単に言えば、落ちこぼれバンザイ!)、撮影ロケ地巡りはとても大事だ。大学近くの日本料理屋でランチの後で、キャンパスを歩いた。
車もOKになったところで、海岸線目指して西へ進む。
ホテル難民にならないように(少しは学習している)早目に宿を決めた。Yachatsという海沿いの小さな街だ。夕食はそこからさらに北のNewportで。クラムチャウダーの老舗、Mo'sへ行った。
明日からは、さらに海岸線を北上する。
2008/10/26
2008/10/25
day44 短信
Reno, NV-Lassen Volcanic NP-Weed, CA
America's Bywaysの中にカリフォルニア州とオレゴン州の火山/湖を結ぶ「Volcanic Legacy Scenic Byway」というドライブ・ルートあり、これを2日間で走った。
Lassen Volcanic NPが本日の目玉商品で、箱根みたいに硫黄と水蒸気がブクブクしているところ。
2008/10/24
2008/10/23
day42 短信 小熊
2008/10/22
day41 短信
2008/10/21
day40 短信
2008/10/20
day39 短信
Santa Rosa, CA泊-St Helena-Healdsburg, CA泊
Santa Rosaはスヌーピー(Peanuts)の作者Schulz氏が亡くなるまで30年間住んでいた街・・・というワケでCharles M. Schulz Museumへ行く。彼が毎日訪れたWarm Puppy Cafeでランチ(彼が街に寄贈したというスケートリンク内にある)。
その後はSt Helenaへ向かいワイナリー巡り。妻、この旅で一番気合が入っており、昨夜は朝4時まで調べていたという。
GPSの表示違いで偶然迷い込んだワイナリーで、親切にも中を案内してもらったのが嬉しかった。夜は地元でも人気というBistro Don Giovanniにて。美味しいワインの土地は、風景も美しく、食事も美味しい、そして人も暖かい。
こんな豊かなところもある一方で、通過するだけでギスギスとした空気が伝わってくる荒れた街もあるというのに。
2008/10/19
day38 短信
San Francisco, CA発-Santa Rosa, CA泊
前夜は本当に疲れたが、なんとか(ほど良い)宿が見つかって本当に良かった。気を取り直して旅を続ける。ちなみに朝、洗濯。
SFのチャイナタウンをうろうろ。中華街の路地裏でフォーチュン・クッキーを作っている店を発見したり、ケーブルカーに乗ったり。
期待してた飲茶は魔が差してハズレの店に入ってしまった。
ゴールデンゲートブリッジで夕暮れを迎えた後は、橋を渡ってそのまま北上する。ここから先は、僕も今まで訪れた事がない土地の連続になる。楽しみだ。
2008/10/18
day37 短信
Santa Cruz発-San Francisco, CA泊
長い一日だった。
Santa Cruz、マーチング・バンドのパレードが行われていた。桟橋でブランチ。ここにもアザラシが。
その後、Bonny Doon VineYard に立寄る。ここのワインクラブに何年間も入っているので、一度訪れてみたかったのだ。最近、別のオーナーに買収されたとか。
さらにHWY1に沿って北上、海岸線の景色を楽しむ。この辺りでノンビリ暮らせたら、どんなに良いだろうか。
Half Moon Bayという街あたりまでは、ドライブもとても順調だったのだが、何故かこの街で大渋滞にハマる。街でお祭りもやっていたが、どうもここは恒常的に渋滞しているところのようだった。構造的におかしいからでは?という気がするのだが。
この晩はタツ青木さんも出演するライブ・パフォーマンスがSFで8時からある為に、計算外で遅れるのは困るのだった。日も暮れて、非常にイライラしながらSF入り。公演の15分前になんとか、本当になんとか到着。
さて、無事ライブも観れて、中華街でラーメンを食べた・・・までが、つかの間の余裕。というか、状況を把握してなかった僕達はお気楽過ぎたのかもしれない。この後で、この旅最悪の「ホテル難民」状態に陥る。
SFに到達するまでの渋滞・遅刻寸前騒ぎで疲れてしまい、運転する気もおきなかったのだが、空港周辺まで行けば簡単に宿は見つかるだろうと思ってたのが甘かった。後で知ったのだが、2万人が参加したというSFナイキ女子マラソンの前夜でホテルはどこもSOLD OUT状態(あるいは、とてつもなく高騰)だったのだ。
結局、午前2時になってしまったが、それでも最後の最後になって、良い宿が見つかって本当によかった。試練だなぁ。さすがに連日の事態に懲りて、宿はもっと真面目に考えておく事にする(いまさらながら)。
2008/10/17
day36 短信
Monterey発-Big Sur (再)-Carmel (再)-Santa Cruz泊
人気の水族館、Monterey Bay Aquariumへ。ラッコに妻が喜ぶ。この街はスタインベック「缶詰横丁」の舞台になったそうだ。RT66は「怒りの葡萄」だったので、スタインベックつながり。
昨夜は暗闇だったBig Surへ再ドライブ。そして、Carmelのビーチでサンセット。Carmelは僕がこれまで知る中で一番平和な街。
自動車レースやコンサートイベントでMontereyは週末になって宿代が高騰していた。案の定、ホテル難民になる。とりあえず、Santa Cruzまで行けばなんとかなるさと、辿りついてからTrip Adviserで見つけたのは、本当に居心地の良い宿だった。やれやれ。
2008/10/16
day35 短信
Solvang, CA発-HWY1-Monterey, CA泊
デンマーク村・Solvang観光の後でHWY1を北上。
知らなかったが、サンルイオビスポはとても良い街で、apple storeまであった。Sunset Drive Inというドライブインシアターもあった。
豪華絢爛というハーストキャッスル(新聞王ハーストの邸宅)はツアーはsold outで見れず。お金持ちの世界には縁が無い。一方で、その先で、野生のElephant Seal(ゾウアザラシ)の群れを見て喜ぶ。そしてHWY1沿いで海をみながら日没。
当然、分かっていた事ではあるが真っ暗になる。断崖の横、暗闇のBig Surのドライブは辛かった。
なんとかCarmelまで辿り着いたら、2001年の一人旅の時に来たシーフード・レストランを発見。場所をよく覚えていたものだ。
楽しい食事の後で、再び難関。パトカーに停められて、飲酒運転かどうかテストをさせられる。ホワイト・ワインを二人で空けた後だったが・・がなんとか切り抜けた。冷や汗だらだら。そして、お約束のホテル難民・・・Monteleyまで出て、なんとか見つけたが、ハードルの多い一日だった。
2008/10/15
day34 短信
2008/10/14
day33 短信
2008/10/13
day32 短信
LAX - WB Studio- Camarillo, CA
月曜を待って再びLAに戻ったのは、長年お世話になっている移民弁護士に挨拶をする為。もともとは約20年前に両親ともどもお世話になったのがきっかけ。直近では妻のVISAの手続きを手助けしてもらっていた。いつもは用件がある時に電話とE-mailでのやり取りだけなので、僕も会うのは16年振り!にも関わらず、話が弾んで長居してしまった。
そのオフィスから、山火事の煙が間近に見えた。
先日観たばかりのサミュエル・ジャクソン主演「Lakeview Terrace」はLAが舞台で、劇中で山火事が発生するのだが、映画と同じ地域で山火事が発生したらしく、しゃれにならない。また2ヶ所目の山火事も発生しており、1-2日前に通過した近辺が火事になっているようで、驚いている。
午後はLA観光らしい事をしようと、ワーナーブラザースのスタジオ見学に。実際にTVや映画の撮影を行っているスタジオ敷地内のツアー。スパイダーマンやERで使った屋外セットやチャーリー・シーンのTVコメディTWO and a half MANの収録スタジオ、フレンズのカフェ「Central Perk」の小道具も並べた再現セット、etcなかなか中身の濃い内容だった。
LA夜景の夜景を見た後は、暗くなってしまったが、海岸線に沿って北に走ってSanta Barbara方面へ向かう。
2008/10/12
day31 短信
Mojave, CA発-Palmdale-LAX泊
飛行機マニアな一日
Mojave Air and Space Port。
この空港は、普通の民間飛行場としての機能-セスナやプライベートジェットへの給油など-だけでなく、「飛行機の墓場」として紹介される部分がある。物好きな奴が来たなぁという目で見られてしまったが、職員の人が運転するバンで敷地内を見学させてもらった。料金はたったの$5、車から降りる事は出来なかったが、写真は車内からならOKだった。
まず旅客機のジャンクヤード-解体されて部品が売られたり、スクラップにされたり-のセクションへ。ジェットエンジンが野ざらしで無造作に置いてあったが、一個300万ドルで売れるのだと言う。実際、買い手が見つかって包装されているものをあった。
続いて案内してもらったのが、長期駐車場のように整然と並べられている所。google mapではこんな感じなのだが、実は予想より並んでいる数が少なくて、ちょっと拍子抜け。911テロの後には250機も並んでいたという。
ところで、この空港、名前の通り「宇宙港」でもある。ヴァージングループのブランソン会長が推進する初の民間宇宙旅行会社、Virgin Galacticの本拠地にもなっている。7月末には宇宙船の母機となるWhite Knight Twoが公開されたばかり。
2010年の開業を目指して、テスト飛行が本格化するという話だった。
見学を終え、LAに戻る途中でPalmdaleの航空公園に立ち寄った。歴代の最新鋭機を製造した米空軍第42工場がこの土地にあり、これに隣接した公園に数々の米軍の航空機が展示されている。戦争の道具ではあるので複雑な気持ちだったが、例えば、実用ジェット機の最高速度記録を出したSR-71 Blackbirdの機能美とも言える異様な存在感は、実物ならでは(隣にはA-12が)。世界初の実用ステルス機 F-117 Nighthawkもあり、並べてみるとF-117は思ったより小さく、SR-71は大きかった。
なお、今回訪れた近くには、スペースシャトルの帰還や、映画「ライトスタッフ」の舞台にあったエドワード空軍基地もある。
砂漠の真ん中だが、この手の話題が好きな人にはたまらない一帯である。
そうそう、Mojave空港近くの、風力発電の風車群の風景も面白かった。
2008/10/11
day30 短信
2008/10/10
day29 短信
Victorville,CA発- Santa Monica-El Segundo(LAX),CA泊
前夜からの騒動を経て午後3時にチェックアウト。San Bernardino / Rialtoを経てLAに向かう。
ちょっと前の計画では映画「Cars」にも登場したインディアンの住居(teepee)を模したmotel-Wigwam Motelsに泊ろうと考えていたので、一応その前を通ってみるが、あまり良いneighborhoodではない印象、そのまま素通りした。LAに入る。リトル東京の周辺も相変わらず物騒。
相変わらずと言えば、LAでの運転は本当に疲れる。
暗くなった頃に、Santa Monicaに到着-走行距離は5000mlの一歩手間-これで、RT66を走破完了。昨夜のダメージの影響か、あまり感動・達成感はなかった。LA空港(LAX)の近くの宿にチェックインした後で、Santa Monicaで寿司を食べた。
この日は運転ばかりで、一枚も写真を撮っていなかった事にあとで気付いた。
前夜からの騒動を経て午後3時にチェックアウト。San Bernardino / Rialtoを経てLAに向かう。
ちょっと前の計画では映画「Cars」にも登場したインディアンの住居(teepee)を模したmotel-Wigwam Motelsに泊ろうと考えていたので、一応その前を通ってみるが、あまり良いneighborhoodではない印象、そのまま素通りした。LAに入る。リトル東京の周辺も相変わらず物騒。
相変わらずと言えば、LAでの運転は本当に疲れる。
暗くなった頃に、Santa Monicaに到着-走行距離は5000mlの一歩手間-これで、RT66を走破完了。昨夜のダメージの影響か、あまり感動・達成感はなかった。LA空港(LAX)の近くの宿にチェックインした後で、Santa Monicaで寿司を食べた。
この日は運転ばかりで、一枚も写真を撮っていなかった事にあとで気付いた。
day28-29 RT66 の終焉
Barstow, CA / Victorville, CA
RT66 の終焉
Barstowのドライブインシアターは、2スクリーンあるものの、ろくに看板も上映案内もない質素な運営で「取りあえずやってます」という感じだった。それぞれのスクリーンでは2本上映されており、僕達はSamuel JacksonのスリラーとKate Hudsonのラブコメという組合せを観た。まぁ大人ひとり$6だから、ただの名画座感覚なら文句はない。
宿は映画に行く前に決めておいた。その名も"Route 66 Motel"、ガイドブックで「安くてキレイ」とオススメの場所。RT66のネオンサインがいかにもで、敷地には壊れたクラシックカー等が並び、雰囲気を醸し出していた。インド人のオーナーが「very clean」と自信満々に案内してくれた部屋は、改装されてクーラーも新調した、との事だった。
二本立を観た後でMotelに戻り、写真の整理とBlogの更新。ベッドが円形で(これが名物らしいが)なんか昭和・日本のラブホテルみたいだな、とか思いつつ「あのドライブイン・シアターでは、愛があまり感じられなかったな」とか「Bagdad Cafeでは一日に何回、あの主題歌を流しているんだろう」とか考えていた。そして、ここのMotelに"RT66"がついてなかったら、果たしてここに泊っただろうか?と。確かに、一見したところ小奇麗な部屋で、虫の知らせだろうか、なんか腑に落ちない気がしていた。
そんな事を考えながらblogを打っていたら、午前2時を過ぎていた。妻はぐっすり寝ている。
寝ている妻の横、僕が眠るハズの所で何かが動いている。枕に虫!ゴキブリのちっちゃいのだな。よく見たらベットのいたる所に何匹もいるじゃないか。深夜になって彼らの活動タイムになったのだ。その古いベットからどんどん這い出てきているのだ。ティッシュで殺していったら、あっという間に十匹以上になった。熟睡中の妻を起こす。自分がそこで寝てたらと思うとゾツとしつつ、薄着だった妻を不憫に思った。今度は飛び起きた妻が言った「赤いのも動いてる!」。それはシーツの真ん中を闊歩している赤いダニだった。僕達は部屋を出る事にした。
無反応だったオフィスから、出発直前にようやくオーナーの妻が出てきて言った。簡単に苦情を言うと、こう応えた。「部屋はvery clean」。 じゃぁ見てみなよ。あのゴキブリだらけのベットを!「今は見ない。出ていくなら、勝手にどうぞ。で、鍵はちゃんと返してね」。
まぁ、very cleanの定義ってのは人によって違うのだろう。たまたま虫が多い時期だったか?それとも、虫が活動する深夜まで起きてて、見てしまった俺が悪いのか?知らずに寝てれば平和だったのだろうか?
「安かろう悪かろう」だ、虫だって出るだろう。ニューメキシコのmotelで、部屋に入り込んだ鈴虫の鳴き声で眠れなかったのを思い出したが、いやいや、そんな次元ではない。ゴキブリが床を歩いてるならまだしも、ベットの中でどんどんわいて出てくるのは、たまらん。虫だけが原因じゃない、洗面所がカビだらけだったり、気になって我慢してた部分は他にもあったところに、虫で大きくトドメを刺されたのだ。
僕はドライブインシアターやRoute 66というギミックに「釣られて来る」モノズキな客だ。ただ安い宿を探していたのではない。ノスタルジアと不衛生は違うのだ。そんな旅の中で、Munger Moss Motelや、Tulsaのドライブインシアター、Tucumcariのアンティーク屋のお婆さん・・・出会えた事が嬉しかった人達が沢山居たが、既に懐かしい存在になりつつある。
既に気付いていた。あんな素晴らしい人達が居る一方で、RT66の歴史やブランドにぶら下がっていれば客が寄ってくるから商売してる人が居る事を。これまでもRT66沿いには"Route 66"の名のついたMotelは無数にあった。そのうち2ヶ所で、泊ろうして部屋を見せてもらいながらも、汚そうで止めていた経緯があった。そう言えばあの時も「very clean」とフロントで言われたっけ。
なぜ今夜はまんまと釣られたのだろう。ガイドブックで薦めてたからか?ネオンサインやクラシックカーに引かれたからか(先代のオーナーが集めたのを引き継いだだけだろうけど)?値段だって、街の安motelのレベルから言えば割高だった。
今夜はとても裏切られた気がして、I-40を西に走った。この深夜になって、どうするのが良策なのかは分からなかったが、とりあえず、ただ走った。Old Route 66ではなく、普通の高速道路を。
僕らのRT66 の旅は終りを迎えた瞬間だった。失恋した時みたいな気分だった。
少し先のVictorvilleという街まで行くのが限界だった。一日中ドライブして、二本立ての映画を見た後の午前4時半。ホテル難民になりつつも、辿り着いたのは、Hilton Garden Inn。 $80でチェックアウトは午後3時(今からでも十分睡眠が取れる!)。Hilton系の会員だったので、部屋はJunior Suiteにアップグレードしました、と言われた。広い部屋に、無駄にでかいプラズマ・テレビが2台、リビングとベットルームにそれぞれあった。
そして清潔さで言えば、これこそが、僕らの感覚で言う「very clean」だった。
2008/10/09
day28 短信
Needles, CA発-Bagdad Cafe-Barstow, CA /Victorville, CA泊
RT66の終盤-その気になれば一日でLAまで行ける距離-を時間をかけて移動していた。主に砂漠に囲まれた土地だ。
Amboyの人口は7人だけ!ここではRoy's Cafe and motel(の看板)に立寄る。今は営業再開準備中で併設しているガソリンスタンドだけが機能していた。
そして「Bagdad Cafe」。当時、ロードショー公開で作品を観た我々にとっては感慨深い場所だ。Bagdadという街そのものはAmboyの西にその昔存在していたらしいが、今は消滅しており跡形もない。実際に映画の撮影が行われたのは、もう少し西のNewBerry Springsという街のSidewinder Cafe(当時)だった。その後、オーナーが変り、名前もBagdad Cafeになり、日本や欧州からの観光客でも賑わっている。
夜はBarstowという街に居た。この街にはドライブイン・シアターがあるので滞在する事にしたのだ。
まさか、あんな展開になるとは思わずに・・・(続く)
2008/10/08
day27 短信
Kingman, AZ発-Oatman-Needles CA泊
僕達はいつも出発が遅い。今朝もMotelをチェックアウトする最後の客になってしまった。昨夜時間が遅くて通り過ぎたRT66名物、Hackberry General Storeまで戻る。
その後はKingman観光。古いDowntownを歩き写真を撮ったり、妻はアンティークショップに浸ったり。
Cool Springsを経由してOatmanへ至る山道-RT66のいろは坂-をくねくね走る。Oatmanは西部劇の街をそのまま残したような観光スポットで土産物屋が建ち並ぶ。時々西部劇ショーも実演してる模様。ところで、街にはロバが居る。ロバは何頭も放し飼いにされていて街を闊歩しているのだが、そこらじゅうに糞はするわ、店の中まで入ろうとするわ「すごいこと」になっていた。
外は100F、この旅での最高気温。コヨーテやロードランナー等と遭遇しつつ、砂漠を抜けて、コロラド川を渡ってカリフォルニア州入り。いよいよRT66で最後の州だ。州を越えた途端にヤシの樹が生えている。さすが、いかにも「カリフォルニア」。Needles, CA泊
僕達はいつも出発が遅い。今朝もMotelをチェックアウトする最後の客になってしまった。昨夜時間が遅くて通り過ぎたRT66名物、Hackberry General Storeまで戻る。
その後はKingman観光。古いDowntownを歩き写真を撮ったり、妻はアンティークショップに浸ったり。
Cool Springsを経由してOatmanへ至る山道-RT66のいろは坂-をくねくね走る。Oatmanは西部劇の街をそのまま残したような観光スポットで土産物屋が建ち並ぶ。時々西部劇ショーも実演してる模様。ところで、街にはロバが居る。ロバは何頭も放し飼いにされていて街を闊歩しているのだが、そこらじゅうに糞はするわ、店の中まで入ろうとするわ「すごいこと」になっていた。
外は100F、この旅での最高気温。コヨーテやロードランナー等と遭遇しつつ、砂漠を抜けて、コロラド川を渡ってカリフォルニア州入り。いよいよRT66で最後の州だ。州を越えた途端にヤシの樹が生えている。さすが、いかにも「カリフォルニア」。Needles, CA泊
2008/10/07
day26 短信
Sedona, AZ発-Jerome, AZ-RT66-Kingman, AZ
セドナはテーマパークみたいだ。
ボルテックス探しというミステリアス/ファンタジーな要素を加味しつつ、トレッキング・岩登りというアドベンチャーに挑戦するアトラクション。小奇麗で、安全・手軽で、街はコンパクトに色々と揃っている。メキシコの村をイメージして作られたTlaquepaqueで昼食をとったのだが、まさにここもテーマパークの一角といった雰囲気だった。
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Route 89A
さて、今日はRT66に復帰するのだ。
直接Flagstaffから戻っては面白くないので、南へ遠回りし、Route 89Aというこれまた古い道を辿る事にした。
Clarkdaleに着いてから、ここに来た事があるのを突然思い出した。
「Verde Canyon Railroad」という渓谷を走る観光鉄道があるのだが、この街はその出発駅があり、数年前のPhoenix旅行の際に訪れていたのだ。残念ながら火曜は整備の為に運休。列車の写真だけ撮らせてもらって(裏手の廃線になったところでも)、しばし懐かしさに浸った。
verdecanyonrr.com
その先のJeromeが、なかなか賑わっているので驚いた。1953年に鉱山が閉鎖された直後はゴーストタウンだったが、その後は芸術家(やヒッピー達)の手によって、復活したとの事。陶器の店+スタジオで器をいくつか購入。
その後、カーブ連続の山道を抜けてRT89に出てから北上、しばし走ってAsh Forkという街で、久し振りにRT66に復帰。なんか、ほっとする。
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RT66復帰
SeligmanではRT66名物のソフトクリーム屋 Snow Cap Drive-Inへ。そしてAngel Delgadilloさんの元床屋・Route 66 Visiter Center。もう夕方なので閉店かと思ったら、とんでもない、観光バスが次々に横付けされていた。日本人の一団にも遭遇。グランドキャニオン観光のルートに組み込まれているのだそうだ。
サンセットに向かって走るのは気持ちが良かったが、暗くなってしまったので、Truxtonの有名な標識も、HackberryのRT66愛好家の間で有名な店も、立寄れず。とりあえず、宿を確保する為、その先のKingmanへ急いだ。夜は洗濯、そして深夜まで旅行の予習。
2008/10/06
day25 短信
Camp Verde, AZ-Sedona, AZ泊
再びsedonaに戻り、まずBoyton Canyon / 女神の岩 Kachina Womanをトレイル。
雲ひとつ無い晴天、空がとてつもなく「青い」。
セドナのトレイルは、軽装・短時間でも得られる達成感が大きい。たとえ途中で諦めたとしても、そこには十分満足のいく景色が広がっている。このお手軽さは、とても楽しい。
ランチの後は、Red Rock Crossingへ。
ここでは岩に登ることなく、小川に沿ってトレイル。昨日、頂上近くまで登ったCathedral Rockが水の向こうに見える。赤い岩だけでなく緑も水も豊かとは。本当に恵まれた土地だ。
街が経済的に潤っているのも肌で感じる。道路は大きな拡張工事が行われていて、さらに整備されていく様に驚いた。美味しいレストランもあったし、Tlaquepaqueというギャラリー+ショッピングエリアも洒落ていた。Santa Feほど成金臭さも鼻につかない印象。
昔に行った西海岸の小さな街を思い出した。
そう言えば、早く海が見たくなってきたな。
今日は先に進んでRT66復帰を目指す予定だったが、すっかり暗くなってしまった。トレイル・岩登りの連続で身体はそれなりに疲れているし、街を後にするのが名残惜しい気持ちもある。夜道を無理に急いで折角の景色を無駄にする理由もない。少し悩んだ末にもう1泊する事を決めた。
今夜の宿は中心地に近くでブラリと見つけた、その名も"SEDONA MOTEL"。なんだかんだ言って、居心地が良いのか、実質この辺りで3泊目の夜。
2008/10/05
day24 短信
Sedona, AZ 探索- Camp Verde泊
セドナは「癒しの街」「スピリチュアル・リゾート」として有名。
でも僕はボルテックス(Vortex)とボートックス(Botox)を混同するような奴なので、この土地の探索は妻に任せる事にした。
まず、最もパワーが強いと言われる Bell Rockに朝から登る。
子供連れ、さらには子犬も連れてトレイルしてる人もいて、さすがセドナ、親しみ易さが違う。身体の中からパワーが湧き上がってくるかと思いきや、聞こえるのは腹が減ったという心の声のみ。
続いてCathedral Rockも登る。
登ってる途中で妻が「手先にビリビリ感じる」と言っている。仕方なく僕も目を閉じて両手を広げてみるが、たかってくる蝿が五月蝿いとしか感じられず。向かいの山肌に建ち並ぶ豪華な別荘群が目に留まる。値段がいくらするのか、気になってしまい雑念が取り払えない。
Chapel of the Holy Crossへ。
あまりに建物のデザインがモダンですごい。後で調べたらフランクロイドライトの弟子が設計したとか。さすが。
「イエスを抱いた聖母マリア」の岩があるが、妻に何度教えられてもまったく分からなかった。ちなみに街の中心から見えるスヌーピーに似てるという岩も、僕はしばらくの間、となりの岩と取り違えていた。
最後にAirPort Mesaでサンセットを見て、本日の計画をすべて消化。
宿が安いCamp Verdeの街に泊る。
ボルテックスは実感出来なかったが、こんな大自然の中をトレイルして岩に登り、風景を眺めて、気持ちが良くて身体が喜んでいるのは確か。狭い部屋も気にならずに熟睡した。
2008/10/04
day23 短信
Gallup,NM- Petrified Forest - Sedona,AZ
前日に計画変更した結果、Sedona,AZで過ごしてからRT66に戻る事にした。よって、ほぼ14-15日目とほぼ同じルートとなるが、まずI-40を西へ進む。
前回行かなかった Petrified Forest(化石の森国立公園)には立寄った。珪化木(けいかぼく)=化石となった樹木がゴロゴロしている場所。写真に撮ってもあまり面白くないかもしれないが、実際に触れたり、その風景を歩いていると、とても不思議で、感慨深いものがあった。
FlagstaffからSedonaへの道、89Aがとても綺麗だった。何より日没前に着いたのが嬉しい。
本日の走行距離は242ml(390km)、昨日は 268ml(431km)だった。
総走行距離も4000mlを超えた。ところで、マイルをmlと書くと"ミリリットル"みたいだ。本当はどう略するのが良いのだろう。miというのもピンと来ないのだが。
昨夜の安モーテルから一転、宿ではなぜか広い豪華な部屋を割り当ててもらった。それだけでSedonaの印象が良くなった。近くで食べた夕食(ピザ)も美味しかった。そして、今夜はこの広い部屋でくつろぐハズが・・・いきなりノートPCがクラッシュしまくり、冷や汗ダラダラ状態、直しているうちに未明に。 トラブルの種には尽きないのだった。まったく。
2008/10/03
day22 短信
22日目 Ouray,CO発−(San Juan Skyway)- Farmington,NM -Gallup,NM泊
San Juan Skywayの後半戦。再び、黄金色に紅葉した道をドライブ。途中の標高は 11,018FT=3358m とかなり高く、ここでは雪がちらついていた。Silverton-Durango間には観光名物の蒸気機関車が走っており、Silvertonの街で間近に見る事が出来た。 またDurangoはなかなかお洒落な街だった。
さて、ここまではとても順調だったのだが、San Juan Skywayを終えて、ニューメキシコ州に入ってから妙な展開に。紅葉で美しかったコロラド州から一転、建築重機などが行き来する土埃が舞う風景となり、街の雰囲気もかなり殺伐としたものに。なんか「アメリカのスイス」から「アメリカの現実」に引き戻された印象。さらに、ナバホ・インディアンの大イベントか何かで、宿を決めようとしていたFarmingtonでは結局、安モーテルまで全てsold outだった。
本当は翌日から景色が良いとされる64号線を東に走ろうかと思っていたのだが、ウンザリ気分も強まって予定変更を決断。地図を見直してGallup,NMを目指す事に。途中、ナバホ居住区を通過したが、ここでも年に一度のお祭りらしく、移動遊園地などで盛り上がっていて、大渋滞にはまってしまった。その後、真っ暗な道をなんとか走り切りGallupに到着。宿は怪しい連中がうろうろしてるような、物騒な安モーテルとなった。
2008/10/02
day21 短信
21日目 移動なし。Ouray,CO 2泊目
「チェックアウトしなくて良い」というのが素直に嬉しい。
街の外れにある滝まで歩いたり、通りをブラブラしたりして過ごした。夕方から街の温泉(野外プール)まで行き、その帰りに夕食。夜はこの先の旅の情報収集とか。
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先日壊したカメラはOLYMPUS E-520。予備で持参したのはその一世代前のE-510。根本的なホワイトバランスの安定精度や色傾向などが格段に違う。旅先で短時間に次々と撮っていると、その差を痛感してしまった。
同時にRAWでも撮ってるがjpgをレタッチせずに「撮って出し」で載せる方針にしてるので、それだけにE-510の絵に手を加えられないのは、早速ストレスになりそうだった(E-520を壊したショックに加えて)。
そんな僕を見越してか、昨日の昼過ぎにCortez, COを出発した際に、妻がひと言「新しいの買って次の宿に届けたら?」
・・・Amazon Primeに加入してるので翌日配送は+$4だけで済む。Ourayでの宿は決めてるので、きっと受け取れる。 E-510を下取りに出せばコストは浮く。壊れたE-520の修理代はPurchase Protectionがあるのでタダになりそうだ(望遠レンズはムリだけど)。残りの旅をずっとカメラの事で悔しい思いをする位だったら・・・
今日の午後2時には「アメリカのスイス」に新品のE-520が届いた。
Amazon.comの発送とUPSの翌日配達に感謝。
妻のひと言に感謝。ありがと。
2008/10/01
day20 短信
20日目 Cortez,CO発−(San Juan Skyway)-Ouray,CO泊
今日はAmerica's Byways(アメリカ百景みたいのかな)にリストアップされている、San Juan Skywayの前半戦。この地図の通りぐるりと一周出来るようになっている。Ouray(ユーレイ)に泊った後の、後半戦にあたる部分は別名"Million $ HWY"とも呼ばれているそうで、ちょっと期待のドライブ。
連日砂漠を走行してた後だけに、自然豊かな景色が新鮮。さらに、地元の人からも「今の時期に来て良かったわねぇ」と言われた通り、運よく紅葉の真っ只中で、それはそれは綺麗な風景が展開した。
宿を決めたOuray(ユーレイ)は自称「アメリカのスイス」という通り、可愛い街。だが、僕達の目的は可愛さだけではない。ここには温泉があるのだ。
旅も3週間。毎日運転、宿を探して毎晩違うベッド、翌朝には慌しくチェックアウト、の繰り返しも少し疲れを感じてきたので、今回はここで2泊する事にした。 だって温泉があるのだから!
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